鈴鹿詩子を見て腐女子への憧れを思い出しつつある
Twitterから永久追放されて半月が経った。
クソ鳥の運営に対して「Get my account unlocked,bitch」と日夜メールを送っているのだがガン無視され続けている。
俺の鍵垢は目敏く見つける癖に抗議は見ぬふりを決め込むなんて企業として頭おかしいのではないだろうか。
ただTwitterを見なくなった代わりに本を読むようになったりするようになったので心なしか精神的な健康が良くなった気がする。
アウトプットの場であったTwitterに代わってブログでもやろうかと思いはするのだがいかんせん文章を書くのが億劫だもんで、前回から更新期間がまた空きそうな気がしていた。
そんな時に思わぬものにどハマりしてしまった。
vtuberだった。
もちろん、彼らの存在自体は結構前から知ってはいた。
自分の知り合いにも数人vtuberが好きな人間がいたのだが、自分がハマることはないだろうなぁなんて思っていた。
そもそもyoutuberと呼ばれる人々自体にそこまで食指が動いた経験がなかった。
東海オンエアやしばなん(?)だったか、みたいなのは名前を耳にしたことはあるが、正直言って何が面白いのかが一切わからない。
服が好きなのでそれ関連のyoutuberも見たことがあるのだが、知識のインプットが非常に遅いと感じて以来全く見なくなった。
服飾系のyoutuberに関して思うことは非常に多いが今度の機会に書くとして、話を戻そう。
ある日、偶然にも「最低すぎる美少女ゲームのヒロイン」なる動画を見てみたら、一気にその世界に引き込まれた。
なんじゃこのめちゃくちゃに身を張った動画を出してる奴はと思って他の動画を見たら「どうぶつの森にゲイハーレムを作る」だとか「無垢な猫に淫語を吹き込む」だとか「マイクラにラブホを作る」のようなしょうもない内容ばかりだった。
そして、どうしようも無い下ネタが大好きな自分は見事にそれらに笑わされて、鈴鹿詩子にハマることとなった。
彼女の実況や配信を見るたびに今まで関わってきた腐女子の人々を思い出す。
タイトルにも挙げている通り、自分は腐女子に対して憧れに近いような感情を持っている。
彼女達が主に焦点にするのは言わずもがな男性同士の恋愛(BL)だが、腐女子の間ではよくバトルが発生する。
受け攻め論争と自分は読んでいるが主従関係に重きを置く彼女達はたとえ同一人物間の恋愛だろうが主従が異なればすぐに袂を分かつ。
「ABとBAというのは根本的に違うものだから」と言われた事を未だに覚えている。
腐女子への憧れと言ったが、こういったこだわりを持てるという事自体がまさにそうだった。
自分のオタク遍歴を思い返した時、あくまでも「人」や「もの」を深く掘り下げようとする傾向がよくある。
1番顕著に自覚したのはアイマスにハマった時だったかもしれない、あれを歌って欲しい、あんな服を着て欲しい、というあくまでキャラクター性に対しての要求や理想が先に立つことがよくあった。
そんなこともあってvtuberには距離を置いていた。
双方向性が比較的強い配信スタイルだからこそ、こうあって欲しいという欲望が先に立つ人間はあまり深入りしないほうが良い気がした。
ただ、鈴鹿詩子に対してはある種安心感を以て見ることができる。
これをなんと言えば良いのかはわからないが、「強い」のだ。
視聴者がちょっとやそっとの要求をするよりも彼女から自然に出てくるものの方が面白いかもしれないと思わせてくる強さがある。
それを構成する一つは確実に「腐女子カルチャーというよく知られているようで実はよくわからない文化」というバックボーンがあると思う。
オタク文化の中でもクィアなBLをターゲットにしていたから、という理由もあって閉鎖的になっていたという背景もあるだろうが、よくわからない理由のもう一つがマジョリティである男性オタクとの着眼点の違いだと思う。
男性オタクの目線はよく言われるように「萌え」に代表される個人は送られる眼差しだったが、腐女子が送る眼差しは人と人同士の関係性に焦点が合わさる。
ABとBAは根本的に違うというのはそういうことなのだろう、構成要素は同じでもどちらが主従かで大きく内容が変わるわけだから。
ただ、そうした腐女子流の眼差しは一昔前はあまり表出してこなかったように感じる。
2010年代は腐女子的オタク層が一気に表へ出てきた時代だと個人的には思っているのだが、鈴鹿詩子はそれより以前からの腐女子(腐女子という言葉すら根付いていなかった頃)なだけあって相当性癖が濃縮されている。
閉鎖的なコミュニティは互いが互いを研磨し合い、ニッチになりがちだが801板もそんな具合に進化していったのだろう。
自分の知る腐女子もこれに近かった、流石に801板には住み着いていないものの、ひっそりと狭いコミュニティを形成しそこで濃縮された性癖を解放していた。
時にTwitterで発狂したり、時に深刻な顔をして「この世の終わりみたいな性癖していやがる…」だとか呟いたり行動や思考が兎角面白かった。
腐女子に感じた、すべてを包み込む性癖の大らかさ、関係性に対して激論を交わせる自我の強さ、そして性癖への正直さと明確さをそっくりそのまま鈴鹿詩子に見出している。
間も無く登録者数が30万人に達しようとしているが、ここまでの支持を得られるのは同じ腐女子からの共感なのか、それとも男性オタクが自分と全く違うものを見た面白さの現れなのかはわからないがこの先どこまで腐女子の生態が一つのコンテンツとして興味を引くことができるのかを遠巻きながら観察している。
本当はここら辺で終わろうと思ったが、最近にじさんじの配信者に色々ハマりつつあるので、以下は考えが散らばったメモ程度の文章になる。
・鈴鹿詩子
本題にも挙げた腐女子故の力強さが武器だが、もう一つの武器は自然な撮れ高生成力の高さだと思う。最低すぎる美少女ゲームのヒロインシリーズもそうだが、彼女の配信で面白くなる時はシンプルな捻りで他が真似できないような独自性を獲得することが多い。
例えば、ホラーゲーム配信がそれだ。
ホラーゲーム実況の基本フォーマットは実況者が視聴者の代わりに怖がったりビビりながらゲームを進行していくのが普通だが、鈴鹿詩子の場合そもそもほとんどビビることがないため視聴者は彼女と一緒に怖がるという体験がない。その代わりにvtuberらしい双方向性を活かして視聴者が鈴鹿詩子へ突っ込むという構図が出来上がり、それが鈴鹿詩子ならではの面白さは発展している。ビビらないだけならまだしも、ゲーム中のイベントをガン無視しながらリアルに起こったトラウマ体験を話す、笑う、鼻歌を歌うといった行動をとるので視聴者は彼女ではなくゲーム側に肩入れし始める。
つまり、鈴鹿詩子はホラーゲームを実況(実際の状況を説明するという意味)せずにプレイすることで逆に面白くしている。
にじさんじ界隈でホラーゲームが流行った時も彼女だけ独自のスタイルを生み出して亜流のコンテンツを生み出していったように思う。
あとこの人は男のオタクムーブ(俗に言う童貞ムーブ)もかなり"わかってるなぁ"と思わせるもので、男性からの評価を得ているのはここだろうなと感じている。
そういう意味で消費されるvtuberではなくあくまで視聴者と同じ目線を持った配信者としての面も維持できるんだろうなぁと思ったりする。
・矢車りね
私は個人的に鬼才と呼んでいる。
彼女の配信は一言で言うとカテゴライズができない。
世界観と呼ぶには即興すぎるトークと雑談と呼ぶにはオチまでの展開がよく出来すぎている話、マイクラスキンなど発想がいつも斜め上なのは本当に凄まじい、できれば復帰して欲しい。
ジョー・力一の項を書いてて思ったが、妙に既視感があると思った、電気グルーヴの番組だ。
・エリー・コニファー
ここまで世界観を丹念に仕上げたvtuberは存在しなかったかもしれないし、実況という素が出る事をある程度織り込み済みにしたフィールドでもなお世界を引き継げる構成力は素晴らしいの一言に尽きる。
アサシンクリードをやってなぜか実況の空気に齟齬が生じない、絶妙なバランスを保っている。
・黛灰
凸待ち配信やにじさんじwiki配信が有名だが、彼の本当の強さは、にじさんじ内でも稀な他人のアクをうまく引き出せるところにあると思う。
緑仙と似たポジションのようでもあるが、緑仙がにじさんじをマクロ的に捉えた配信を得意とするのに対して、黛灰はミクロ的に捉えたフォーカスを上手くやる印象。
ラジオみたいな誰か一人をゲストに招いてその人の深掘りをする動画があれば絶対見ると思う。
・リゼ・ヘルエスタ
話がもたつく事がない。
地味だがかなりテクニックのいる事をさらっとやっているなぁと少し見た印象だがそう感じた。
もたつく、というのは話だけでなくリアクションも含めてなのだが基本的に月並みな感想を残す事があまりない。
個人的に月ノ美兎と張れるラジオ適正の持ち主だと思っている。
・ジョー・力一
初めて見たのは電気グルーヴのshangri-laを1人で歌うみたいな動画だったが、その時の感想は「山下達郎みたいなことしてんな」だった。
他にもロリ返りした回なども見たが、総じての感想は「声に関する芸が非常に器用」。
トークが有名らしいがまだちゃんと聞いてない。
あと電気グルーヴ布教のためにもこれからも歌ってほしい。
最近見始めたばかりなので今かじり始めた程度の人もいる(樋口楓やイブラヒム、叶、チャイカ、ギバラなど気になる人は多い)がここら辺で。
詩子おねえさん赤い公園歌ってくれないかなぁ…声質的に似合うと思うんだよな