レゲエ

ジャマイカは漢字で牙買加と書きます

「見た目通り音楽が好き」という哲学的な命題

コロナのあれこれで大学の講義がオンラインになるなどしましたが世の人々はいかがお過ごしなのだろうか。

私はバイトが消えたがadobeの年間契約のアレで金が割と持ってかれたり、顔に肉がついたり、親との関係性がこじれたりとしているけれでも元気です。

大学のオンライン講義が始まりもう二週間ほど経つが、正直コロナ収束してもこれでいいなと思っている。

何しろ起きて30秒でもう授業を受ける準備が整う、講師が話しているのを横目にuber eatsを頼んだりうどんをクソうるさくすすったり、倍速で再生することにより「この講義の生殺与奪は俺が握っている」という優越感に浸るなどできる最高の環境が整ってしまったからだ。

理想の授業システムは2週間に一度大学に行く日がある程度のカリキュラムを組んでくれると適度に外出できて良い、是非そうして欲しい。

ただ語学は対面でやらせて欲しい、zoomでロシア語は無理だ、これは確実にそう、なぜなら対面でも無理だから。

 

教授によってはオンラインに慣れておらず色々と学生が不便を被ってるなんて話を聞くが少なくとも私の場合は教授がオンラインネイティブばかりでとても喜ばしい。

もう少し疎くても良い。提出ファイルの形式を指定しないでくれ、俺にはわからない。

そんな教授の講義は例年とあまり変わらない構成で進められるらしく、初回に自己紹介を提出するよう求められた。

これはその後に何度か課される相互評価課題のテストワークらしく、自動で振り分けられた班内にて生徒同士が評価を行う。

さっさと名前と学年、学科を述べ、自分語りを一切除いたミニマリズム自己紹介を提出した数日後。

名前と顔を一切覚えることなく惰性で評価(点数を押すだけ)をしていると、こんなものを出している人に気がついた

 

『〜〜学科の〜〜です!見ての通り音楽が好きです!』

 

その後20分ぐらい彼をガン見した。

細かく、写真を拡大し、彼自身だけではなく周りの部屋、アングルなどにも気を配り彼の言わんとする思惟を汲み取ろうとした。

暖色系の灯り、やや下から撮られた自撮り、染めてから時間がやや経過したであろうくすんだ金髪、黒のマスク(個人的にこのマスクをする人種の80%はシャバいセンスの持ち主だと思っている、残り20%はオタク)、ゲーミングチェアにも見える椅子、など。

ありとあらゆる要素に目を光らせ、「見ての通り」から「音楽が好き」であることを導き出そうとした。

 

そもそも音楽が好きとはどういう定義によるのだろう。

聞く方か?それとも演奏する方か?作曲、作詞の場合もある。編曲やリミックスのようなアレンジかもしれない。それとも音楽を学術的に捉えた上で表現技法に共通する要素を抽出する事が好きなのかもしれない、いやそれとも踊る事か?

音楽が好きという言葉だけでここまでの解釈が浮かんだ。

英語はなるべく解釈を単一にするよう構文が練られ、日本語は曖昧な言語であると誰かが言っていたがまさかここで実感するとは思わなかった。

とりあえずここでは

音楽が好き=音楽を聴く事が好き

と定義しよう、演奏や分析は聞かずには始まらないからだ。

さて、音楽を聴く事が好きという内的属性は外的属性と相関関係にあるのか。

サカナクションのNFパンチで見た目からその人が好きなバンドを当てる、なんていう企画があったがある程度音楽の系統毎に装いのステレオタイプが出来上がるのはまあ間違いないのかなとは思う。

ただ、音楽が好き、というそもそもの行動に外的ステレオタイプはできるのか?

音楽が好きという行動はあまりにも嗜好の方向性としては抽象的すぎる。

音楽が好きであることを証明するための外的属性?なんだろうか、バンドTシャツか?

ここで私は「外的属性を全て服に固定して考えている」という先入観に気がついた。

何も服だけではない、「見ての通り」と言われて参照すべきは顔立ちや佇まいも含まれる。

私は自分の思い込みを恥じながらもう一度画像を覗き込んだ。

 

?????????????????????

 

もっとわからなくなっていた。

はっきり、忌憚なく言うと

「大規模なサークルに入り、同じ学部の人間との人脈もちょこちょこ手に入れ、文化祭前後ぐらいに仲間内のふざけあいで髪を金に染めた、飲み過ぎて吐いた経験が5回ほどある私立文系大学生」

という感じだった(あくまでもこれは私の偏見と異常に強い思想がそう判断しているだけで、世間一般ではこのように見られると言っているわけではないし、この条件に合う人間が全て同じ出で立ちをしていると言っているわけでもない)。

音楽が好き…まあうん、好きだろうが…何というか…。

私は曲がりなりにも音楽系のサークル2つに入っている身分の人間なので、音楽が好きだという人間を色々見ている。

が、彼らには全く外見の共通性が見られない(聞いている音楽を絞ると法則が見えることはあるが)以上、音楽が好きである人間を見た目で判別することは不可能だと思っている。

まず、音楽が好きと言っても程度や分野の差がある。これは認識の齟齬を起こす要因でもあるし、もしかしたら今も齟齬をこれが起こしているかもしれない。

「音楽が好きと言われたら納得できるが、積極的に音楽が好きと判断するには早計すぎる」といった外見の人が大半なため、見た目通り音楽が好きという条件を満たす「見た目」とは強力な説得力を持つ外的属性が必要となる。

ただ彼を見たところそうした強力な説得力を持つ外的属性は見当たらない。

となると、彼は理解していて、私は理解していない「音楽が好きだと見た目でわかる要素」が存在していることになる。

俄然彼に質問したくなった、「見た目通り、とは具体的にどこですか?」と。

しかし、そんな質問をこそすれば、私が「厄介な音楽大好き警察」と見なされる事は間違いない。

既に「Aztec Cameraなんか気取ったもの聞く前にOasisとか聞いとけよ」などと言われるキモいスノビズム音楽オタクである以上、身の振り方には死ぬほど気を付けなければいけない事は自覚している。

 

でも…聞きたい‼︎‼︎

 

見た目通りの「見た目」がどこなのかはマジで気になる。

本当に、本当に何なんだ、音楽が好きな見た目の条件は何なんだ。

それともそういうコミュニティ内で完結しているのか?

一体…見た目とは…何なんだ…。

 

オンデマンドの授業を溜めていたら今地獄を見ています、気をつけようね。

現実逃避する為にさっき思いついて他人に共有しようと思ったこれをブログに書いています。

なぜブログなのかというとTwitterが凍結されたからだよ✌️

疑問は尽きない、とても辛い。

またお元気で。

 

俺が何をしたっていうんだ🐦